ずっと、ずっと、一緒だよ。
2002年12月16日とてもとても12月とは思えない、暖かな1日。
「遠州のからっ風」とも言われる程に冬はとても風が強い浜松なのに、ちっとも風なんか吹かない静かな1日。
おじいちゃんの人柄そのままの、優しくて、穏やかで、雲一つない晴天のこの日に、私はおじいちゃんとお別れをした。
おじいちゃんが泣くなってから毎日毎日泣き続け、お通夜の後の湯灌と納棺の時には、大勢の親戚の方を前に声をあげて泣きじゃくり、母に「みっともない」と言われた。
「Haruちゃんが泣くから、つられちゃう」と父にも苦笑いされた。
いつまでも泣いていたら、おじいちゃんが悲しい顔をする。
心配を掛けてしまう。
そう思って、最後の最後には笑顔でおじいちゃんを見送ろうと思った。
だから、泣くもんか。と、お葬式の間はずっと泣くのを我慢していた。
それでも涙がこぼれ落ちそうになるから、天井ばかり見ていた。
本当はおじいちゃんの遺影を見ていたかったのだけれど、あまりにもいい笑顔をしていたので、見れば見る程悲しさや悔しさ、寂しさがこみあげてきたので、見ることができなかった。
そんな私を尻目に。
母が泣き、おじいちゃんの弟さんが泣き、あちらこちらからすすり泣きの声が聞こえてきて、まさに家じゅうが悲しみに包まれた。
出棺時の喪主挨拶では、父が挨拶の途中で言葉を詰まらせ、泣き、母も泣き、結局私もおじいちゃんの遺影を掲げたまま泣いた。
おかげでおじいちゃんの遺影を涙で汚す始末。
火葬場での最後のお別れからは、ずっとずっと号泣していた。
「おじいちゃんを連れていかないで!!」
身体じゅうが引き裂かれるような悲しみと痛みの中、声をあげて泣いた。
親戚の方ばかりではなく、斎場の方からも慰められる始末。
おじいちゃんが荼毘に付され、分骨していただき、これからも、東京に行ってからもずっと一緒に居れることになってから、ようやく私は落ち着きを取り戻すことができた。
★★★
本当に、誰からも愛されたおじいちゃんだった。
親戚の方も、おじいちゃんのお友達も、誰もが口を揃えて「いつも穏やかで優しくて…いい人だった」と、思い出を語ってくれた。
そして最後に必ずこの言葉を聞いた。
「Harumiちゃんは、おじいちゃん自慢のお孫さんだったのよ」
と。
★★★
「おじいちゃんが死んじゃったら、Harumiも死ぬ」
これが私の口癖だった。
でも、おじいちゃんと約束した。
精一杯、生きる、と。
最高の私で会いに行く、と。
おじいちゃんの孫として、胸を張って生きて行く。
私自慢のおじいちゃんの孫として。
おじいちゃん自慢の孫として。
おじいちゃん。
いつまでもいつまでも、おじいちゃんは私の心の中にいるから。
絶対に、忘れない。
ずっとずっと、一緒に居ようね。
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